2018.3.14
ブログを見ていただいてありがとうございます!
Tocoです!(●^o^●)
今日のブログは基本的に暗いお話。
私もあんまり書きたくない(え
スミマセン、はじめます。
なんでプノンペンに来たのって、特に理由はなくて。
カンボジアに来て、アンコールワットはもちろん見に行くけど、シェムリアップだけでカンボジアを出てしまうのもな~、首都は行っておこうかな~と、ただそれだけでした。
正直、カンボジアの街並みを見ていて、ホコリっぽいところとか、ゴミだらけだったりとか、治安が心配なところとか、嫌なところばかり見えてしまって(良いところが見つけられなくて、まだまだ未熟です。)プノンペン行きもあまり楽しみではなかった。
そして到着したプノンペンは、都会だった。
信号があるのに警察が3人がかりで車を誘導している。
自分の車が先に通るんだ!!とアピールするかのようにクラクションをならしまくる。
歩道には車が停まっていて、道路脇にはトゥクトゥクと屋台が並んでいて、歩行者は車道の真ん中あたりを歩くことになる。
唯一ホッとできたのはメコン川沿いの開けた遊歩道。(メコン川は茶色いけどね)
そんな感じであまりテンションが上がらなかったのです。
プノンペンは元々2泊だけの予定だったので、観光できる時間は長くありません。
その限られた時間で何をしようか。
何もしなくても良かったんだけど、
プノンペンに来れば、沢山の人が訪れる場所がある。
カンボジアのポルポト政権時代に行われた、大虐殺に関わった場所である、トゥール・スレン虐殺博物館と、キリングフィールド。
それはいわゆる“負の遺産“で、とてもじゃないけどウキウキした気分で行ける場所ではありません。
このテンションで、あえて嫌な気分になる場所に行く必要があるのかな?
とも思いましたが
世界中を見て回りたいと思ってこの旅を始めた以上、美しい景色だけ、良いところだけを見て回るだけでいいのかなーと思ったこともあり、行ってみることにしました。
ただでさえ、観光客は上辺のいいところしか見られないから。
そして私は無知だから。知りたいと思った!
トゥール・スレン虐殺博物館は、市内から比較的近くにありますが、キリングフィールドは少し離れた場所にあります。
ホステルの専属トゥクトゥクドライバーを予約して、2箇所に行ってもらうことにしました。
料金は2人で$18
午前10時に出発し、まずはキリングフィールドに向かいます。
キリングフィールドまではトゥクトゥクで一時間弱で到着しました。
入場料は1人$3。音声ガイドを借りると+$3です。
音声ガイドはケチらず是非借りて下さい。見るだけじゃなにもわかりません。
(と、言いつつケチって二人で1つのオーディオを使いました。)
まずはなぜカンボジアで大虐殺が行われたかということ。
カンボジアの内戦の結果、政権を握ったポルポト。
ポルポト率いるクメール・ルージュという政党は“原始共産主義“を掲げました。
それは、カンボジアという国を、階級や格差のない原始時代の状態に戻そうとする考え方。
そのため、ポルポトは『知識を持つ者は人々の間に格差をもたらす。』、『この革命のために知識人は不要。』という考えに至り、カンボジア国内の教育を受けた人々を排除するための大虐殺が行われました。
知識を持つ者、とは医者や弁護士などはもちろんのこと、ただメガネをかけていたり、海外に行ったことがある人なども知識人と見なされ、無残に殺されました。
そして、その家族(子供も含む)も、恨みを持って反撃されないように、と殺されました。
殺された数は、カンボジア全国民の3分の1にものぼるそうです。
そして、忘れてはいけないのが
この大虐殺が起こったのは、たった40年前の話。
信じられません。
キリングフィールドは、その虐殺が実際に行われ、多くの死体が埋められた場所。
未だに、雨が降ると地面から骨や歯や衣類が出てくるそう。
この木は、キリングツリー。
赤ちゃんが、この木に頭を打ちつけられ殺されました。
音声ガイドではここでは書けないような残虐な内容が流れるため、かなり刺激が強い。
キリングツリーを見たときは涙が出た。
慰霊塔には沢山の頭蓋骨が安置されています。
この大虐殺では、『弾が勿体ない』という理由で、銃は使われず、農作業に使われるような道具や鉄の棒などで殺された。
なので頭蓋骨をよく見ると、どのように殺されたかがわかるそう。
もう、かなりしんどいです。
キリングフィールドを見終わったあと、トゥクトゥクドライバーのサリに、
『ご飯たべる?』と聞かれましたが、食欲なんて出ませんでした。
次のトゥール・スレン虐殺博物館に行くのも辛い、、、
トゥール・スレン虐殺博物館の入場料は大人$5。音声ガイドは+$3です。
このトゥール・スレン収容所は、もともと学校だった場所。
そこが極秘の収容所となり、この場でひどい尋問が行われました。
この収容所からキリングフィールドに送られ、殺されるのです。
2年9ヶ月の間に約2万人がここに収容されたと言われていますが、ここから生きて出られたのはたったの8人だけでした。
この収容所は現在虐殺博物館となっていて、無事生還した8名の中の1人の画家さんによって描かれた、尋問の様子の絵なども展示されています。
他には、尋問が行われた場所をそのまま残した部屋や、広さ一畳分もなさそうなレンガ製の独房、木製の独房もありました。
異様な空気で、部屋に入ることが躊躇われます。
他には虐殺で亡くなった方の写真。
この大虐殺で恐ろしいと思ったのが、無差別なようで無差別でなかったこと。きちんと誰が殺され、誰がどこに移送され、漏れなく殺されたかどうかを管理されていたところ。
その証拠に、殺された人には番号がふられ、顔写真がしっかりと残っているのです。
そして殺された人の写真だけでなく、クメール・ルージュのメンバーの写真も展示されています。(後に殺されています。)
驚いたのが、子供の多さ。
ほとんどが10代に見えました。
ポルポトは、子供たちは不要な知識に染まっていないと考え、クメール・ルージュのメンバーに加えて、尋問や虐殺をさせた。
医療の知識のない子供に医者をさせ、その結果死んだ人もいる。
色んな意味でこの子達に、何ができたのだろう?
反発することすら許されず、どんな仕事をやらされたんだろう
悲しみとか、怒りとか、恐怖とか色々な感情に押しつぶされそうになりました。
なぜこんな事が起きなければいけなかったのか。
なぜカンボジア人がカンボジア人を殺さなくてはいけなかったのか。
理解はできないし、したくもないけど、これって世界中のどの時代でも、現在でも繰り返し起こっている事実でしかない。
軽く受け止めてはいけないと思った。
今日の出来事は全く楽しい思い出ではありません。
この2箇所を見たからと行って、歴史のすべてを知ったわけでもありません。むしろ人並み以下。
それでも今日の経験が今後の私を作っていくほんの少しの破片になりますように。
そしたら、行って良かったって思えるんじゃないかなぁ。
少し、体調が悪い夜です。